オーストラリアにおけるスポーツの歴史

オーストラリアにおけるスポーツの歴史

オーストラリアにおいて、スポーツは国家の成長を追う形で発展を遂げると同時に、こうした成長に影響を与えてきました。

欧州からの入植者が18世紀後半、オーストラリアに到着するはるか以前、先住民(アボリジナル)の人々はかけっこや球技、槍投げ大会などを通じて、運動神経や機敏さを競っていました。一方、スポーツは初期の欧州からの入植者にとって、遠方に位置する英国とのつながりを保つと共に、オーストラリア国内に欧州の社会モデルを再現するための手段でした。彼らが競馬やクリケット、ラグビーを新天地に取り入れた結果、英国の例を踏襲したプロ、アマのスポーツ大会が相次いで立ち上げられました。また、オーストラリアン・フットボール(オージールールズ)の誕生に見られるように、英国のスポーツが豪州向けに改良される形で導入されました。

こうした中、1800年代後半になると、オーストラリアを独自の国として捉える見方が定着し始めます。これに伴い、スポーツは次第に英国との違いを際立たせるための材料となりました。1901年にそれまで別々だった植民地が連邦制のもと一つとなり、スポーツの全国代表チームは、新たに統一された国のアイデンティティを具現化したものと受け止められるようになりました。オーストラリアの兵士は第一次・第二次世界大戦中、戦場の内外で優れた運動神経を示し、時に大胆な行動を取っていましたが、こうした特徴は、スポーツ国家としてのオーストラリアの国際的評価を高める結果につながりました。

第二次世界大戦後、オーストラリアには南欧系の移民が大量に流入し、これまで存在していなかったサッカーがこの国に紹介されました。彼らはサッカーを通じて自らの民族性を保つ一方、国内ですでに楽しまれていたスポーツにも参加し、新天地に溶け込もうとしました。クラブでのスポーツ活動や若者のための週末の競技大会は、次第にオーストラリア社会にとって欠かせない要素となっていきました。

これと並行して、オーストラリアで台頭していたビーチカルチャーは、自発的なサーフ・ライフセービング運動の出現を促しました。また同時に学校では、海難事故を防ぐための教育が広く展開されていきました。一方で女性の権利向上にともない、スポーツ界での女性の活躍がさかんになりました。こうした流れは、ダブルスを含め14度のグランドスラム優勝を誇るイボンヌ・グーラゴングなど、草分け的なスター選手の存在により後押しされたものです。さらに1956年のメルボルン・オリンピック開催やテニス、ボクシング、陸上といった個別競技での成果により、オーストラリアは世界で「最もスポーツに熱心な国」と形容されるまでになりました。

 

写真:オーストラリア政府観光局

1970年代以降になると、スポンサーやメディア放映権の影響が大きくなり、これらがスポーツ種目やチームの成功を大きく左右するようになりました。1981年にはオーストラリア国立スポーツ研究所(the Australian Institute of Sport)が設立され、各州においても同種の訓練機関が立ち上げられると共に、スポーツ科学を研究する組織や大学が相次いで登場します。同時に国内の学校では、体育や学校間のスポーツ交流がカリキュラムに組み込まれました。

こうした進展のかいあって、オーストラリアは2000年シドニーオリンピックでメダル数で世界第4位となり、パラリンピックでは最も多くメダルを獲得した国となりました。現在もオーストラリアはオリンピック、パラリンピック大会で世界のトップ10に入っており、全国的に国民のスポーツ参加率が高い国となっています。

一緒にオーストラリアのスポーツ
を盛り上げましょう。

オーストラリア大使館は
AUS+RALLYキャンペーンにご参画
いただけるパートナー
「FRIENDS OF AUSTRALIA」を募集しています。